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0102_ダグラス・エンゲルバート_mouse

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Q1. 1960年代、人々はどうしてマウスでコンピュータを操作することに驚いたのでしょうか? ➡️
Q2. ダグラス・エンゲルバートは、「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」で何をデモしたのでしょうか? ➡️
Q3. ダグラス・エンゲルバートは何にヒントを得てマウスを発明したのでしょうか? ➡️
Q4. Augmenting Human Intellect? ➡️
Q5. ダグラス・エンゲルバートというのは、どういう人だったのでしょうかARPANET? ➡️

A1. 1960年代、人々はどうしてマウスでコンピュータを操作することに驚いたのでしょうか?

1960年代、コンピュータといえば、ひとつの部屋全体を占拠する「大型コンピュータ」が主流の時代でした。そして、新しく出てきた“大型冷蔵庫”サイズのコンピュータを、画期的に小さくなったということで「ミニコンピュータ」と呼んでいたような時代だったのです。当時、コンピュータというのは、とても高価で非常に操作が難しいものだったのですが、そうした中、ダグラス・エンゲルバートは、マウスを発明し、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) で、実際にコンピュータをマウスで操作してみせたのでした。マウスを使えば、専門的な知識がなくても、誰でもコンピュータを操作することができる。エンゲルバートが、直感的にわかりやすいGUI(グラフィカル・ユーザ・インターフェイス)を実演してみせたことで、どうすればパーソナルコンピュータを開発できるか、その方向性が定まったのです。今日では、パーソナルコンピュータも、スマートフォン、タブレットも、GUIを実装していますが、こうしたGUIコンピュータが普及する歴史的な出発点となったのが、この「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」と呼ばれるデモンストレーションだったのです。→参照:パーソナルコンピュータの歴史


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A2. ダグラス・エンゲルバートは、「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」で何をデモしたのでしょうか?

ダグラス・エンゲルバートが「The Mother of All Demos(すべてのデモの母)」でデモしたのは、マウスだけではありませんでした。90分に及ぶデモの中で、エンゲルバートは、NLS(oN-Line System) というコンピュータのハードウェアとソフトウェアを統合したオンライン・システムの紹介を行い、その中で、マウスはもちろん、ウィンドウ、ハイパーテキスト、グラフィック、ビデオ会議、ワードプロセッシング、動的ファイルリンク、バージョン管理システム、リアルタイムの共同編集作業など、現代のパーソナルコンピュータとインターネットの基本となる要素をほぼすべて紹介したのでした。これらの要素すべてを単一のシステムで実演した最初のものでした。デモは非常に影響力があり、1970年代初頭にゼロックスPARCで同様のプロジェクトを生み出しました。基盤となるテクノロジは、1980年代と1990年代に、Apple MacintoshとMicrosoft Windowsの 両方のグラフィカルユーザインタフェースオペレーティングシステムに影響を与えました。


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A3. ダグラス・エンゲルバートは何にヒントを得てマウスを発明したのでしょうか?

ダグラス・エンゲルバートは大学生時代に、複雑なカーブを持つ図形の面積を割り出すプラニメーターという装置のことを教授から教えてもらっていました。2つのアームが接合され、接合部には回転盤があり、アームの先で図形をなぞって回転盤の数字に掛け算をすると面積が分かるようになっている装置で、その原理を応用してマウスを発明しました。オレゴン州立大学に進学したが、第二次世界大戦末期に徴兵されてアメリカ海軍に入隊。フィリピンレーダー技師として2年間働いた。小さな島にある高床式の小さな兵舎で、初めてヴァネヴァー・ブッシュの論文 “As We May Think” に触れ、強い衝撃を受けた1945年にヴァネヴァー・ブッシュの “As We May Think” を読んだことで[11]、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。レーダー技師としての経験から、情報を分析してスクリーンに表示できることを知っていた。彼は、知的労働者たちがディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する集合的知性のような能力を利用できると考えた。エンゲルバートはコンピュータが単なる数値を処理する機械と見なされていたころに、対話型コンピュータを活用して集団的知性の利用を実現することをライフワークと捉えていたのである。1957年、スタンフォード大学と当時関わりが深かった SRIインターナショナル(当時はスタンフォード研究所)に雇われた。当初はヒューイット・クレーン(英語版)の磁気デバイスの研究と電子部品の小型化の研究を手伝った。SRIで徐々に1ダースほどの特許を取得し(バークレー時代の研究に基づいた特許も含まれる)、1962年には長年温めていたビジョンについて Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートをまとめ、研究を提案した[13]。

この提案によりARPAから予算がつき、作業を開始することになった。新たに Augmentation Research Center (ARC) をSRI内に創設し、研究員を集め、oN-Line System (NLS) の開発と設計を主導した。ARCでは、ビットマップ・スクリーン、マウス、ハイパーテキスト、グループウェア、先駆的なグラフィカルユーザインタフェース (GUI) などのインタフェース要素を開発した。彼は1960年代中ごろにユーザインタフェース (UI) のアイデアの多くを考案し開発した。そのころパーソナルコンピュータはもちろんないし、コンピュータは一般の人々には遠い存在で直接使用するなどほとんどあり得なかったし、ソフトウェアも個々のシステム向けの専用アプリケーションとして書かれることが多かった。

Macintosh Plusのマウス (1986)
1967年、エンゲルバートはマウスの特許を申請し、1970年に取得した(アメリカ合衆国特許第3,541,541号)。マウスが開発されたのはその数年前で、エンゲルバートのアイデアに基づいてビル・イングリッシュ(英語版)が設計・開発した。その特許では “X-Y position indicator for a display system”(表示システムのためのX-Y位置指示器)とされており、金属ホイールを2つ持つ木製のマウスであった。エンゲルバートによれば、「マウス」と名づけられたのはしっぽに相当するコードが後ろ(というか利用者から見て手前)にあったためだという。また、スクリーン上のカーソルは「バグ」と呼んでいたが、この用語は定着しなかった[14]。

エンゲルバートはマウスの発明に関してロイヤルティーを受け取ったことはない。その第一の理由は、特許が1987年に失効したため、パーソナルコンピュータでマウスが必須のデバイスとなる前だった点が挙げられる。第二に実際に製品化されたマウスは彼の特許に記載されていたのとは異なる(改良された)機構を使用していた。インタビューで彼は「SRIはマウスの特許を取らせたが、その価値を理解していなかった。後で知ったことだが、SRIはアップルに4万ドルかそこらでライセンス提供したんだ」と証言している[15]。エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどではMother of all demos(全てのデモの母)と呼ばれている[16]。
エンゲルバートは様々な災難と誤解のため、1976年ごろから全く誰からも見向きもされない状態となった。彼の下にいた研究者の一部はパロアルト研究所へと移っていった。これはエンゲルバートへの不満やコンピュータの未来についての見解の相違などが原因である。エンゲルバートはタイムシェアリングシステムを利用した協調型ネットワークが有望だと考えたが、若い研究者たちはパーソナルコンピュータの可能性を追求したがっていた。この衝突は技術的なものであると同時にそれぞれの時代背景にも原因がある。エンゲルバートはタイムシェアリングしかなかった時代の人であり、若い研究者は能力や権力の集中が疑問視されていた時代の人間である。そしてパーソナルコンピュータの時代はすぐそこまで迫っていた。
エンゲルバートは自身の会社 Bootstrap Institute の取締役である。この会社は1988年、彼の娘クリスティーナ・エンゲルバートが設立した。カリフォルニア州メンローパークにあり、彼の最近の哲学とも言うべき集団的知性の概念を洗練させることを目的とし、Open Hyper-Document Systems(OHS) と呼ばれるものを開発している。2005年、エンゲルバートは米国科学財団からオープンソースプロジェクト HyperScope への資金援助を得た。HyperScope プロジェクトでは、Ajax と DHTML を使用したブラウザ部品を開発し、Augment システムの機能を再現しようとしている。HyperScope はエンゲルバートの目標と研究に基づき、グループウェアとグループサービスの開発により広いコミュニティが参加するよう計画された過程の最初の段階である。

1988年、娘クリスティーナ・エンゲルバートと共に Bootstrap Institute を創業。1989年から2000年までスタンフォード大学で彼のアイデアに基づいたマネジメントセミナーを開催していた。1990年代初めまではセミナー参加者も多く、エンゲルバートの哲学に賛同して協業を申し出る者もおり、非営利団体 Bootstrap Alliance も創設することになった。イラク侵攻とその後の景気後退でパートナー企業からの援助は減ったが、マネジメントセミナーやコンサルティングは小規模に続行された。1990年代中ごろにはDARPAから新たなユーザインタフェース開発 (Visual AugTerm) のための資金提供を獲得し、大規模なジョイント・タスクフォースに参加している。
2005年、アメリカ国立科学財団はエンゲルバートの HyperScope というオープンソースプロジェクト[32]に資金提供した。

2008年、Bootstrap INstitute と Bootstrap Alliance は合併し Doug Engelbart Institute と改称。エンゲルバートは名誉創設者とされている。運営は娘のクリスティーナ・エンゲルバートが行っている。エンゲルバートの哲学である「集団的知性の増強」を広める活動を行っている[33]。

エンゲルバートは、サンタクララ大学の Center for Science, Technology, and Society、Foresight Institute[24]、社会的責任を考えるコンピュータ専門家の会、The Technology Center of Silicon Valley、The Hyperwords Company(Firefoxのアドオンである Hyperwords を作っている組織)[34]の諮問委員を務めている。

2013年7月2日に腎不全のため逝去。88歳没。


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A4. ええええええええええええええええええええ?

ARPANET
エンゲルバートの研究開発はARPAから資金提供されていたため、ARCはインターネットの前身であるARPANETにも関与した。1969年10月29日午後10時30分、UCLAのレナード・クラインロックの研究室から最初のARPANET上のメッセージがSRIのエンゲルバートの研究室に送信された[17]。ARCに送ろうとしたメッセージは “login:” だったが、”l” と “o” 送ったところでシステムがクラッシュした。したがって、ARPANET上の最初のメッセージは実際には “lo” である。約1時間後クラッシュから復旧すると、”login:” というメッセージの送受信に成功した。

1969年11月21日には Interface Message Processor (IMP) が両方のサイトに置かれ、ARPANET初の恒久的リンクを形成した。1969年12月5日にはさらにUCSBとユタ大学も接続され、4ノードのネットワークになった[18]。

ARCは世界初のネットワークインフォメーションセンター (NIC) となり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。またARCは初期のRFCのかなりの部分を担っていた。NICは当初NLSを使って運営されていたが、エンゲルバートは革新的な研究に集中し続けた。このためNIC運営と研究の両立が困難となり、NICはグループとして独立し Elizabeth J. Feinler が指揮することになった[19]。
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A5. ダグラス・エンゲルバートというのは、どういう人だったのでしょうか?

ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart、1925年1月30日 – 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の Augmentation Research Center (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し[3]、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。

エンゲルバートは、コンピュータとネットワークの開発と使用が世界の緊急かつ複雑な問題を解決する助けになるという主張をよく行っている。
科学史の専門家 Thierry Bardini がいみじくも指摘したとおり、エンゲルバートを様々な研究開発に向かわせた彼の複雑な個人的哲学は、今日の哲学と科学技術の共進化を先取りしていた[20]。Bardini は、エンゲルバートがベンジャミン・ウォーフの言語的相対論に強く影響されていたと指摘する。ウォーフは言語の洗練度が思考の洗練度を左右するとしたが、エンゲルバートは技術のレベルが情報操作能力を左右するとし、技術開発によって我々の能力が向上すると考えた。そこで彼は情報を直接的に操作するコンピュータを使った技術の開発に向かい、同時に個人やグループの知的作業過程を洗練させる技術にも関心を寄せることとなった[20]。

エンゲルバートの哲学と研究の方向性は(自身がバイブルと呼んでいる)1962年の研究レポート “Augmenting Human Intellect: A Conceptual Framework”[13]に明確に記述されている。ネットワーク指向の知性という概念に基づいてエンゲルバートは先駆的な業績を残すこととなった。

 

Level 4   彼は何にヒントを得てマウスを発明したのでしょうか?

ダグラス・エンゲルバートは大学生時代に、複雑なカーブを持つ図形の面積を割り出すプラニメーターという装置のことを教授から教えてもらっていました。2つのアームが接合され、接合部には回転盤があり、アームの先で図形をなぞって回転盤の数字に掛け算をすると面積が分かるようになっている装置で、その原理を応用してマウスを発明しました。

Level 5  「The Mother of all demos」は後世にどのような影響を与えましたか?

1968年12月9日、サンフランシスコで開催された「Fall Joint Computer Conference」 でダグラス・エンゲルバートが行った歴史的なデモンストレーションは、その後の全てのコンピュータ関連のデモンストレーションのルーツになったという意味で「The Mother of all demos(全てのデモの母)」と呼ばれています。90分のデモンストレーションでダグラス・エンゲルバートが披露したのは、NLS(oN-Line System)というコンピュータのハードウェアとソフトウェアを統合したシステムでした。NLSは、ウィンドウ、ハイパーテキスト、グラフィックス、効率的な操作とコマンド入力、ビデオ会議、コンピュータマウス、ワードプロセッサ、動的ファイルリンク、リビジョンコントロール 、リアルタイム共同編集(共同作業)など、現代のパーソナルコンピュータのほとんどの基本要素を含んでいました。このデモンストレーションは、その後のパーソナルコンピュータやインターネットの発達に非常に大きな影響力を及ぼしました。「パーソナルコンピュータの父」アラン・ケイもこの「The Mother of all demos」に参加していました。そして、このNLSのアイデアに触発されて、1970年代初めにゼロックスPARCで同様のプロジェクトを生み出し、それを見学したスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツによって、1980年代と1990年代にApple MacintoshとMicrosoft Windowsの2つのGUIパーソナルコンピュータが生み出されました。

【参考動画/reference movie】

The Mother of All Demos, presented by Douglas Engelbart (1968)(1:40:52)

【参考ページ】

■ダグラス・エンゲルバート(wikipedia)


ダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart、1925年1月30日 – 2013年7月2日)は、アメリカ合衆国の発明家で、初期のコンピュータやインターネットの開発に関与した。特に、SRIインターナショナル内の Augmentation Research Center (ARC) で行ったヒューマンマシンインタフェース関連の業績で知られており、そこでマウスを発明し、ハイパーテキストやネットワークコンピュータやグラフィカルユーザインタフェースの先駆けとなるものを開発した。

1945年にヴァネヴァー・ブッシュの “As We May Think” を読んだことで、知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定めた。戦後になってコンピュータに関する記事などを読み、またレーダー技師としての経験から、情報を分析してスクリーンに表示できることを知っていた。彼は、知的労働者たちがディスプレイの前に座り、情報の空間を飛び回り、より強力な方法で重要な問題を解決する集合的知性のような能力を利用できると考えた。エンゲルバートはコンピュータが単なる数値を処理する機械と見なされていたころに、対話型コンピュータを活用して集団的知性の利用を実現することをライフワークと捉えていたのである。

エンゲルバートは数々の発明品を統合して、1968年12月9日のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference) でデモンストレーションを行った。これはアメリカなどではMother of all demos(全てのデモの母)と呼ばれている。

エンゲルバートの研究開発はARPAから資金提供されていたため、ARCはインターネットの前身であるARPANETにも関与した。1969年10月29日午後10時30分、UCLAのレナード・クラインロックの研究室から最初のARPANET上のメッセージがSRIのエンゲルバートの研究室に送信された。ARCに送ろうとしたメッセージは “login:” だったが、”l” と “o” 送ったところでシステムがクラッシュした。したがって、ARPANET上の最初のメッセージは実際には “lo” である。約1時間後クラッシュから復旧すると、”login:” というメッセージの送受信に成功した。

1969年11月21日には Interface Message Processor (IMP) が両方のサイトに置かれ、ARPANET初の恒久的リンクを形成した。1969年12月5日にはさらにUCSBとユタ大学も接続され、4ノードのネットワークになった。

ARCは世界初のネットワークインフォメーションセンター (NIC) となり、全ARPANETノードの接続を管理することとなった。またARCは初期のRFCのかなりの部分を担っていた。NICは当初NLSを使って運営されていたが、エンゲルバートは革新的な研究に集中し続けた。このためNIC運営と研究の両立が困難となり、NICはグループとして独立し Elizabeth J. Feinler が指揮することになった。

■The Mother of All Demos(wikipedia)

The Mother of All Demos” is a name retroactively applied to a landmark computer demonstration, given at the Association for Computing Machinery / Institute of Electrical and Electronics Engineers (ACM/IEEE)—Computer Society’s Fall Joint Computer Conference in San Francisco, which was presented by Douglas Engelbart on 9 December, 1968.

The live demonstration featured the introduction of a complete computer hardware and software system called the oN-Line System or, more commonly, NLS. The 90-minute presentation essentially demonstrated almost all the fundamental elements of modern personal computing: windows, hypertext, graphics, efficient navigation and command input, video conferencing, the computer mouse, word processing, dynamic file linking, revision control, and a collaborative real-time editor (collaborative work). Engelbart’s presentation was the first to publicly demonstrate all of these elements in a single system. The demonstration was highly influential and spawned similar projects at Xerox PARC in the early 1970s. The underlying technologies influenced both the Apple Macintosh and Microsoft Windows graphical user interface operating systems in the 1980s and 1990s.

■グラフィカルユーザインタフェース(Wikipedia)

グラフィカルユーザインタフェース(Graphical User Interface、GUI)は、コンピュータグラフィックスとポインティングデバイスなどを用いる、グラフィカル(ビジュアル)であることを特徴とするユーザインタフェース。キャラクタユーザインタフェース (CUI) やテキストユーザインタフェース (TUI) と対比して語られることが多い。

1960年代の米国において、サザランドのSketchpadや、マウスの発明者でもあるダグラス・エンゲルバートによるNLSなどといった、(軍用などの専用目的ではなく、汎用を意図した)初期のGUIシステムが開発された。NLSはエンゲルバートの提唱する「人間知性の拡大」という概念を実現するために作られており、ハイパーテキスト、ハイパーリンク、マルチウインドウなどの今日的なGUIには必須の概念を実装して見せたきわめて革新的なものである。またジャーナルと呼ばれるハイパーテキストベースの文書共有システムは正にWikiと同じ概念である文書によるコラボレーション・グループウェアを実装したものである。NLSの本質は単なるGUIの実装ではなく、GUIは会話・画像・文書をリアルタイムで共有する電子会議を通じた知的共有グループウェアを実現するための手段であった。さらに、後にWYSIWYGと呼ばれることになる機能もこのとき既に実装されていた。

GUIでは、コンピュータの画面上に、ウィンドウ、アイコン、ボタンといったグラフィックが表示され、ユーザはそれらの中から目的の動作を表すグラフィックスをマウスなどのポインティングデバイスで選択する。

基本的には「デスクトップ」「ウィンドウ」「メニュー」「アイコン」「ボタン」など要素を組み合わせて構成され、それらをポインティングデバイスによって操作されるカーソルを通じて指示を与える。

■アイバン・サザランド(Wikipedia)
アイバン・エドワード・サザランド(Ivan Edward Sutherland, 1938年5月16日 – )は、アメリカの計算機科学者で、インターネットの先駆者の1人。コンピュータグラフィックス、バーチャルリアリティの先駆者。今ではパーソナルコンピュータ上で当たり前となったGUIの先駆けとなるSketchpadを発明したことで知られる。
サザランドは革新的なインタフェースである Sketchpad を発明した。円弧の直径など線分や円弧の関係や制約に従って描画することができる。水平な直線や垂直な直線を描画でき、それらを組み合わせて図形にすることができる。図形の基本形状を保持しつつ。コピー、回転、拡大・縮小が可能である。Sketchpad には世界初のウィンドウ描画プログラムとクリッピングアルゴリズムが備わっており、ズームが可能である。Sketchpad はリンカーン研究所の TX-2 コンピュータで実現され、後にダグラス・エンゲルバートが oN-Line System のGUIを開発するのに影響を与えた。一方、Sketchpad はヴァネヴァー・ブッシュの有名な論文 “As We May Think” で言及された仮想的なmemex の影響を受けて作られた。
アメリカ国防総省国防高等研究計画局のJ・C・R・リックライダーは、自分の後任にサザランドを指名し、自身は1964年にMITに復帰している。
1965年から1968年まで、ハーバード大学で電気工学の準教授を務める。1967年、ダニー・コーエン(英語版)と共に線分クリッピング(英語版)アルゴリズムであるコーエン–サザランド・アルゴリズム(英語版)を開発。1968年、サザランドは彼の学生ボブ・スプロール(英語版)の助けで最初のバーチャルリアリティ(Virtual Reality, VR)と拡張現実(Augmented Reality, AR)である、ヘッドマウントディスプレイ (HMD) システム The Sword of Damocles を作り出す。この最初のシステムはユーザインタフェースや現実性の面では完成度が低かった。頭にかぶる HMDがとても重く、天井につないで支えなければならなかったし、バーチャルリアリティの環境は単純な線で成り立った空間に過ぎなかった。
1968年から1974年までユタ大学で教授を務めた。ユタ大学時代の教え子には、Smalltalkを開発したアラン・ケイ、グーローシェーディングを開発したアンリ・グーロー(英語版)、アンチエイリアス技法を開発したフランク・クロウ(英語版)、ピクサーの創業者の1人で現在は Walt Disney Feature Animation の社長であるエドウィン・キャットマル、ユタティーポットのマーティン・ニューウェルやジム・ブリンなどが名を連ねている。
1968年、友達で同僚のデービッド・C・エバンス(英語版)とともに、エバンスサザランド社 (en) を設立し、リアルタイム機器、アクセラレイテッド3Dグラフィック、プリンタ言語の分野で先駆的な業績をおさめた。エバンスサザランド社には後にアドビシステムズ社を創業したジョン・ワーノック(John Warnock)とシリコングラフィックス社を創業したジム・クラークが勤務していた。
1974年から1978年まで、カリフォルニア工科大学の計算機科学の教授を務め、計算機科学部門の創設に関与した。その後コンサルティング企業を創業し、その企業がサン・マイクロシステムズに買収され、同社の研究部門の礎となった。サン・マイクロシステムズではフェロー兼副社長を務めた。

■Sketchpad
Sketchpad は1963年、アイバン・サザランドが博士論文の一環で作成した革新的コンピュータプログラムであり、サザランドはこれが元でチューリング賞(1988年)と京都賞(2012年)を受賞した。コンピュータと人間の対話方法を変えるものであった。例えばグラフィカルユーザインタフェースはSketchpadが起源であり、オブジェクト指向プログラミングもSketchpadが先駆けであった。Sketchpad はCADプログラムの先駆けであり、コンピュータグラフィックス全般にとっても主要なブレークスルーの1つである。アイバン・サザランドは、コンピュータグラフィックスの芸術への活用と技術への活用を示すと共に、斬新なマンマシンインタフェースの手法を示した。
サザランドはヴァネヴァー・ブッシュの As We May Think でのMemexに触発された。また、Sketchpadに触発されたのがダグラス・エンゲルバートで、彼はスタンフォード研究所の Augmentation Research Center (ARC) にて oN-Line System を設計・開発した。
Sketchpad はベクタースキャンブラウン管とライトペンを使用して、世界初の完全なグラフィカルユーザインタフェースを実現している。プログラム構成上の特筆すべき点として、データ構造の設計において「オブジェクト」や「インスタンス」といった概念を採用し、いわゆるオブジェクト指向の先駆けのひとつと言えることも挙げられる。基本的発想は、ある図形を作成したら、それを複製して何度でも実体化(instantiate)できるということである。ユーザーが元の図形に変更を加えると、他の全てのインスタンスが同じように変形される。Sketchpad は図形の幾何学的属性に簡単に制約を加えることもできた。例えば、直線の長さとか2つの直線の交わる角度などを固定できる。

マウスを発明した現代ICTの立役者:追悼ダグラス・エンゲルバート(前編)by 林信行(週刊アスキー)

(以下のインタビュー記事は、月刊アスキー1999年1月号に掲載されたもので、掲載時の文章をそのまま転載しています)

今から30年前、サンフランシスコで90分間におよぶ歴史的なプレゼンテーションが行なわれた。このプレゼンテーションでは、今や誰もが当たり前に使っているマウス、マルチウィンドウシステム、スクリーン編集、情報がリンクするハイパーメディア、 アウトラインプロセッシングといった技術を採用したNLS(oNLine System)というシステムが紹介された。
「未来にタイムスリップしたよう」なこのデモは、多くの人に強い影響を与えた。デモを行なったのは、最近では簡単に「マウスの発明者」として紹介されることが多いダグラス・エンゲルバート博士だ。
’98年12月9日、スタンフォード大学ではこの歴史的プレゼンテーションの30周年を祝い「Engelbart’s Unfinished Revolution(エンゲルバートの未完の革命)」と題したイベントが開催された。本誌ではイベント直前に来日した博士にインタビューした。

■マウス誕生秘話
―― ところで、あなたの最大の発明品、「マウス」はどのようにして生み出されたのでしょうか?
E かなり昔、あるコンファレンスでコンピュータグラフィックスを作ろうという話が出た。だがこれをうまくインタラクティブに操作する方法が分からなかった。コンピュータをインタラクティブに使う方法についてはそれまでも思案していたことだったんだが、行き詰まって落書きをしながら、工学科の大学生だった頃のことを思い出したんだ。
当事、研究室で私は複雑なカーブを持つ図形の面積を割り出さなければならなかった。そのとき教授にプラネメターという機械を教えてもらった。複数のアームが接合された機械で、接合部には回転盤があった。アームの先で図形をなぞって回転盤の数字に掛け算をすると面積が分かるという装置だ。大変興味をそそられて教授にその仕組みを聞いたところ、彼はそれぞれの滑車が特定方向の動きの分だけ回転すると教えてくれた。
はたと我に返り、2つの回転盤の角度を工夫すればCGの入力装置に応用できると気付いたというわけだ。私は急いでアイディアを書き留めてこの装置を開発した。

■知識のネットワーク化の追求はARPAで始まった
―― マウスが登場したNLSのプレゼンテーションで、もう1つ重要だったのが「知の共有」だったと思うのですが。こうした試みはいつ頃から始められたのでしょう。
E 1967年に、私は13人いたARPAの研究員の1人になった。研究員1人1人がタイムシェアリングをしたコンピュータを任されていたんだが、当事、タイムシェアリングはまだ新しく、これが果たして実用になるかといったことも調査の対象になっていた。我々は半年ごとに集められ、お互いの成果を発表した。

私はネットワークの上に全ユーザーの知識が集結したコミュニティを作りだそうと提案した。「どんなリソースがあって、それをどう使ったらいいかといった情報を交換できる場をネットワーク上に作ろうじゃないか」という誘いに、皆、一同に賛成した。

今では何百万というコンピュータがつながっているインターネットだが、この提案のおかげで私のコンピュータはインターネットにつながった2つ目のノードとなった。言い換えれば私のコンピュータの接続で、初めてインターネットワークが登場したともいえるわけなんだ。

マウスの父、ダグラス・エンゲルバート氏インタビュー~過去の点を結んだ線は、未来に渡る橋になる(PC Watch)

マウスの発明者として知られるダグラス・エンゲルバート(Douglas Carl Engelbart)氏(1925~)は、マウスというその画期的な発明のみならず、現在のパーソナルコンピュータで当たり前のように使われているワードプロセッシングや、アウトライン処理、ウィンドウシステム、テキストリンクといった技術を世界で最初に紹介した人物である。

さかのぼれば、テッド・ネルソンも、エンゲルバート博士も、さらには、アラン・ケイでさえも、そのルーツを、1945年に発表されたヴァネバー・ブッシュ(1890-1974)の”As We May Think”という論文にさかのぼることができる。「思考のおもむくままに」(『ワークステーション原典』浜田俊夫訳、アスキー出版局、1990年所収)、「われわれが思考するかのごとく」(『思想としてのパソコン』西垣通編著訳、NTT出版、1997年所収)など、歴史的論文として繰り返し訳出されている名論文だ。

エンゲルバート博士は、この論文を、彼が海軍にいたころ、赤十字の図書館で手に取った「アトランティック・マンスリー」誌で見つけた。関連性のある研究を効率的に検索できる手段を科学者に提供することを目指した情報保管庫システム『Memex』開発の必要性を明確に述べたこの論文は、間違いなく、エンゲルバート博士の、その後の研究活動のルーツとなる。ここに、点と点をつなぎ線とする、現代のハイパーリンクにつながる思想の源があったのだ。

博士が対話型コンピュータのアイディアを思いついたのは、ライトペンを介してレーダーのブラウン管と対話していた海軍のレーダー技師時代の経験によるものだ。博士は、何からのデバイスを使ってコンピュータに接続されたモニタと対話でき、コンピュータ相互がネットワークで結ばれていれば、個人のアイディアや情報を自由にやりとりできるはずだと考えた。

「スクリーン上のオブジェクトをポイントすること自体が自然ではないと考えられていました。当時はコンピュータを自由に使うということを主張していたのですが、誰もそんなことは信じてくれませんでした。今、ヘリコプターを個人が持つことを勧めるようなイメージですね。それに、コンピュータは非常に高価な代物でした。幸い、NASAのプロジェクトにおいて、私が考えたマウスは、すべての項目に合格しました」(エンゲルバート博士)

われわれの前に立ちはだかる問題は、その出現スピードといい、複雑さといい、どんどん難しいものになっています。急速に加速するようなイメージで難しくなっているのです。だからこそ、それを集団で対処していかなければ解決には至りません。集団としての能力をより高めていくためには、いったい何をすればいいのかということが大きな課題になってきました。

私は電気技師としてレーダーやソナーのメインテナンスにもあたっていましたが、その現場では、オペレータがキーをさわってその結果がブラウン管に表示されます。一方、コンピュータはパンチカードを読み取ることができました。こんなことができるのだから、もしかしたら、コンピュータは人間と直接やりとりができるんじゃないかと考えたのです。つまり、スクリーンを通したコンピュータとの対話です。スクリーンを使って集団がコラボレーションしていくことができたらどんなにいいだろうと思ったのはこのころでした。

コンピュータは、秘書の作業を自動化するためだけのものではありません。そこが全部変わっていくと当時考えたのです。その過程の中では、書物も陳腐化していきます。先日も、デジタルデバイドに関するカンファレンスのあと、夕食の場で大学の教授と話していて、本が陳腐化してしまったらどうすると尋ねたら憤られました。

私も、心底、本を愛しています。ただ、本に対するアプローチとして、過去にやったことの1つにハイパーリンクがあります。本全体ではなく、特定の文章に注目したのです。すべてのオブジェクトはアドレスを持っていて、それに対してリンクを張っていくことができるという考え方です。オブジェクトは異なるビュー(視点)を持つことができ、コンピュータは、あるビューを指定するとパラグラフ内のその部分だけを表示したり、特定のセンテンスについてだけを表示します。たとえば、1行目だけを表示するように指示すれば、それはトピックセンテンス(段落の内容を表わした1文)だけのビューとなります。これがアウトラインですね。こうして文章の階層構造が視覚化できるのです。

8歳の娘がヘアブラシをとってくるように母親に命じられたときに、母親は寝室の引き出しの何段目にあるということを伝えます。それがアドレッシングです。人間は当たり前のようにそういうことをやっています。つまり、経路を提供するんですね。これは、とてもフレキシブルなアドレッシングのやり方です。そして、それは、そのまま画面上のオブジェクトを指し示すだけで、いろんなところにやっていける環境に当てはめることができます。

(2006年3月22日)

[Reported by 山田祥平]

■Dr.ダグラス・エンゲルバート(Impress Innovation Lab)
すべてはここから始まった
いまから37 年前の1968 年、サンフランシスコで開催されたFall Joint ComputerConference(FJCC)で行われたDr.Douglas Engelbart(ダグラス・エンゲルバート)のデモ(写真1)は、コンピュータ関係者に衝撃を与えた。
いまでも、「The Demo」とも呼ばれるDr. Engelbart のデモは、マウスを使い、アウトライン構造のデータを扱い、他のファイルへのリンクを実現したハイパーテキストやウィンドウによる複数データの表示、カメラで撮影した映像とコンピュータ出力画面とのスーパーインポーズ、コンピュータ画面を共有した会議機能(写真2)や電子メールなどを実現したものだった。1962 年から開発が続けられていたNLS と呼ばれるシステムが初めて公開されたのが、このデモだったのである。
1968 年とは、アポロ8 号が有人宇宙船として初めて月の周回軌道に入り(月着陸は翌1969 年のアポロ11 号)、インテル社が設立された年。コンピュータと言えば、大型計算機(メインフレーム)が主流だった時代だ。多くのコンピューは、端末装置を使ったタイムシェアリングか、カードなどによるバッチ処理が主流だった。計算機でやることと言えば計算処理が主体で、コンピュータを「ツール」や「メディア」として使うことは一般的には行われていなかった。Unix さえ、最初のバージョンが実装されたのは、翌1969 年である。

「人間の知性を増強する: 概念フレームワーク」ダグラス・エンゲルバート(1962)

【reference page】

■Douglas Engelbart(Wikipedia)
■AUGMENTING HUMAN INTELLECT: A CONCEPTUAL FRAMEWORK By Douglas C. Engelbart (1962)

■Douglas Engelbart(History-Computer.com)
■A few words on Doug Engelbart
Engelbart had an intent, a goal, a mission. He stated it clearly and in depth. He intended to augment human intellect. He intended to boost collective intelligence and enable knowledge workers to think in powerful new ways, to collectively solve urgent global problems.

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