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0201_J・C・R・リックライダー_Time Sharing

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Q1. タイムシェアリングというのはどういう意味でしょうか? ➡️
Q2. ARPANET(アーパネット)が元祖インターネットというのはどういうことでしょうか? ➡️
Q3. うううううううううううううううううううう? ➡️
Q4. ええええええええええええええええええええ? ➡️
Q5. おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお? ➡️

A1. タイムシェアリングというのはどういう意味でしょうか?

タイムシェアリングシステム (Time Sharing System, TSS) は、1台のコンピュータ(のCPU)をユーザ単位に時分割で共有(タイムシェア)し、複数ユーザで同時にコンピュータを利用するシステムである。開発された1960年代の当初は、当時のメインフレーム程度にパワフルなシステムを有効に使うためのものであったが、その後はミニコンピュータを中心としてユーザ単位ではなくタスク(プロセス)を複数動かすマルチタスクのオペレーティングシステムとして広まり、パーソナルコンピュータにおいても現在は一般的な利用法となっている。J・C・R・リックライダーの描いた対話型コンピューティングという概念と彼がARPA時代にまいた種は後のインターネットとパーソナルコンピュータに大きな影響を与えた。
ジョゼフ・カール・ロブネット・リックライダー(Joseph Carl Robnett Licklider、1915年3月11日 – 1990年6月26日)は、現代のコンピュータネットワークについてのコンセプトを作り上げたという点でも重要な人物。単なる計算の道具ではない汎用的な道具としてのコンピュータという観点での開発にも深く関わっており、今日のインターネットに繋がる考察でも有名である。彼は通信におけるコンピュータの重要性と民主主義における大衆への情報伝達の重要性を理解していた。1960年に論文Man-Computer Symbiosis(人間とコンピュータの共生)を発表した。1962年10月、アメリカ国防総省ARPA の研究部門IPTOの部長に任命され、1963年にはARPAの指揮・指令系統の行動科学研究機関の指揮を任された。1963年4月に、タイムシェアリングシステムやコンピュータネットワークについてのメモをARPAの同僚に送信した。ARPANETはこのメモに記述されたビジョンから生まれ、のちにインターネットへと発展した。1968年、MIT電気工学科教授となり、Project MAC の責任者となった。Project MACはリックライダーの元で、世界初のタイムシェアリングシステムであるCTSSや、Multicsを開発した。MulticsはUNIX開発のきっかけとなったことでも知られている。リックライダーは、現代のパーソナルコンピュータやインターネットをもたらすことになった研究を考案し、出資し、管理するという役目を果たした。彼の論文 Man-Computer Symbiosis(人間とコンピュータの共生)は対話型コンピューティングを予見したもので、タイムシェアリングシステムとそのアプリケーション開発に早くから尽力した。彼はまたダグラス・エンゲルバートに助言と資金を与え、それによってエンゲルバートはスタンフォード研究所内に Augmentation Research Centerを設立し、有名なNLS(oN-Line System)を開発した。
SAGE
彼は冷戦下のプロジェクトであるSAGEの開発に携わった。これは、コンピュータを利用した防空システムを構築するプロジェクトである。SAGEで使用したコンピュータは、データを集めて人間のオペレータに提示し、オペレータが適切な応答を選択するという方式である。1957年、BBNの副社長となり、PDP-1の1号機を購入してタイムシェアリングシステムの公開デモンストレーションを実施した。
彼はARPANETを代表とする初期のネットワーキング研究においても発案と資金提供という面で同様の役割を果たした。1968年の論文 The Computer as a Communication Device(通信装置としてのコンピュータ)は、コンピュータネットワークによって位置に依存せずに共通の興味を持つ者が集う協力型コミュニティが生まれることを予測している。
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A2. 人間とコンピュータの共生?

人間とコンピュータの共生
1960年、リックライダーは有名な論文 Man-Computer Symbiosis(人間とコンピュータの共生)を書いた。その中でコンピュータとそのユーザーのより簡単な相互作用の必要性を示した。リックライダーはサイバネティックスと人工知能の先駆者であるとされている。しかし他のAIの先駆者とは違い、リックライダーはコンピュータが人間のようになるとは思っていなかった。彼はその論文で次のように述べている。「人は目標を定め、仮説をまとめ、尺度を決め、評価を実行する。計算機械はルーチン化された仕事はするが、それは技術的かつ科学的思考の洞察や決定の材料に過ぎない。」
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A3. 地球規模のコンピュータネットワーク?

地球規模のコンピュータネットワーク
リックライダーは1962年8月、BBNにいたころに地球規模のコンピュータネットワークのアイデアをまとめつつあり、「銀河間コンピュータネットワーク (Intergalactic Computer Network)」を論じた一連のメモを書いている。そのアイデアには今日のインターネットのほとんどあらゆる部分が含まれている。彼の論文 The Computer as a Communication Device(通信装置としてのコンピュータ)は1968年4月 Science and Technology 誌に掲載されたもので、ネットワークについての彼のビジョンを描いていた。
1967年、リックライダーは Carnegie Commission on Educational Television に論文 Televistas: Looking ahead through side windows を送った。これは、テレビを「放送」ではなく、双方向通信ネットワークで利用することを提案したものである。Carnegie Commission は Corporation for Public Broadcasting を創設した。Carnegie Commission の報告書には「リックライダー博士の論文が完成する前に、委員会はその結論を公式化していた」と説明されているが、ジョンソン大統領は1967年の Public Broadcasting Act に署名する際に「したがって我々は知識のための巨大なネットワークを構築する新たな方法を考慮しなければならないと思う。それは単なる放送システムではなく、情報を送信して蓄積し、個人がそれを活用できるものだ」と述べており[11]、リックライダーの論文を踏まえた発言と見られる。
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A4. Project MAC?

Project MAC
1962年10月、リックライダーはアメリカ国防総省国防高等研究計画局 (ARPA) の研究部門IPTO (Information Processing Techniques Office) の部長に任命された。彼はその時期にアイバン・サザランド、ロバート・テイラー、ローレンス・ロバーツを見出し彼等に網羅的なコンピュータネットワークの重要性を納得させた。IPTOにいた2年間に、リックライダーはMITの Project MAC への資金提供を決めた。Project MAC ではメインフレームに複数のタイプライター端末を接続し、同時に最大30人がコンピュータを利用できるシステムを開発しようとしていた。彼はスタンフォード大学、UCLA、UCバークレー、System Development Corporation(いずれもカリフォルニア州)の同様のプロジェクトにも資金提供を決めている。また、スタンフォード研究所のダグラス・エンゲルバート率いる Augmentation Research Center にも資金提供しており、エンゲルバートは後にコンピュータ・マウスを発明している。
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A5. おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?

【参考動画/reference movie】

【参考ページ】

■J・C・R・リックライダー(Wikipedia)

■タイムシェアリング
■ARPANET(Wikipedia)
ARPANET(アーパネット、Advanced Research Projects Agency NETwork、高等研究計画局ネットワーク)は、世界で初めて運用されたパケット通信コンピュータネットワークであり、インターネットの起源でもある。アメリカ国防総省の高等研究計画局(略称ARPA、後にDARPA)が資金を提供し、いくつかの大学と研究機関でプロジェクトが行われた。ARPANETのパケット交換はイギリスの科学者ドナルド・デービスとリンカーン研究所のローレンス・ロバーツの設計に基づいていた。
パケット交換は今日データ通信の基盤として世界中で使われているが、ARPANETの構想が持ち上がった当時は新しい概念だった。パケット交換が登場する以前、音声通信やデータ通信は回線交換が基本であり、電話の回線網のように電話をかけるたびに通信局から通信局まで専用の電気的接続がなされていた。この場合の通信局は電話やコンピュータである。この(一時的な)専用回線は多数の中継局間の回線から構成されており、発信局から受信局までを結ぶようになっている。パケット交換では、データシステムは単一の通信リンクを使って複数のマシンと通信する。データはデータグラムに分割され、パケットとしてそのネットワークのリンク上を転送される。パケットは小さいので、リンクはすぐに空き状態となり、別のパケットを転送可能となる。そのため、郵便ポストが様々な宛先の手紙を出すのに使えるようにリンクを共有できるだけでなく、各パケットはそれぞれ独自の経路で転送される。
ARPANETに直接影響を及ぼしたコンピュータネットワークの概念の提唱を行ったのはBBNテクノロジーズのJ・C・R・リックライダーによるタイムシェアリングシステムによるネットワークである。リックライダーの1960年の論文、「人間とコンピュータの共生」の中で早くもリソースを共有するためのタイムシェアリングシステムのネットワークの可能性について言及している箇所が見られる。又リックライダーがARPAのIPTO[6]部長に就任した後の1963年にIPTOの助成機関宛に送ったメモランダム「銀河間コンピュータネットワークメモランダム」の中ではIPTOの将来的な目標として相互の研究内容の情報を共有するためにコンピュータネットワークを構築することの提案を行っている。これには現在のインターネットを構成するほとんど全てのアイデアが盛り込まれていた。リックライダーは計画が実施される前にARPAを去ったが、その構想はアイバン・サザランド、ロバート・テイラーといった彼がIPTOに入社した彼の後継者達によって受け継がれる事になった。

【reference page】

■J. C. R. Licklider

■ARPANET

■Man-Computer Symbiosis

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