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0410_嶋正利_i-4004

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Q.1  ?

ホームブリュー・コンピュータ・クラブ(Homebrew Computer Club)が誕生したきっかけは、1974年12月

Homebrew Computer Club

Q.2  ?

『ポピュラー・エレクトロニクス』1975年1月号

Homebrew Computer Club News Letter vol.1

Q.3  「?

アップル社創業のきっかけを作った「ホームブリュー・コンピュータ・クラブ」。Altair 8800

Q.4  ?

Memex(メメックス)のアイデアが、パーソナルコンピュータとWeb、両方に発展していきました。

Open Letter to Hobbyists

Q.5  ?

ヴァネヴァー・ブッシュは、1945年7月の 『Atlantic Monthly』誌に「As We May Think」という論文を発表しました。そして、その中で「全く新しい形の百科事典が出てくるだろう。項目同士が網の目のように関連付けられていて、memex に入れることによってさらに威力を発揮するだろう」と予言しました。続いて、『Life』誌が1945年9月、 その要約版を掲載して、そこに「MEMEX」の予想図も載ました。そして、それをダグラス・エンゲルバートやテッド・ネルソンたちが読んでおおいに刺激を受けました。ダグラス・エンゲルバートは、「As We May Think」を読んだことで、コンピュータで知識を誰でも入手できるようにすることを目標と定め、「ハイパーテキスト」や「ネットワークコンピュータ」、そして「マウス」に代表される「グラフィカル・ユーザー・インターフェイス」の先駆けとなるものを開発しました。一方、テッド・ネルソンは「ハイパーテキスト」という言葉を生み出しました。

【参考動画/reference movie】


TSS: Homebrew Computer Club 1/16/2004 (1of4)

Inside Homebrew: The Club Where Apple Was Born

【参考ページ】

■嶋正利のプロセッサ温故知新【当時の勉強ノートを公開】世界初のCPU「4004」開発回顧録(1) それは電卓の価格競争から始まった

世界初の電子式卓上計算器は英国Sumlock-Comptometer社が真空管(実際にはネオンガスを封入した管)を使って開発した「アニタ・マーク8(Anita Mark 8)」で,1961年10月のロンドン博覧会に出品された。私が勤めていたビジコン社(旧社名は日本計算器販売)はこのアニタ・マーク8を見つけて日本に輸入し,販売したが,高価過ぎて日本ではあまり売れなかった。しかしアニタ・マーク8は日本メーカーの電卓開発に大きな影響を与えた。

ビジコン入社後,ノートを作成しながら独学した

■ホームブリューコンピュータクラブの誕生とその役割(Apple/Macテクノロジー研究所)

“Homebrew” とは自宅でビールなどを醸造する意味から転じ、自分でコンピュータを手作りするというニュアンスで使われ命名されたという。

機械技術者でコンピュータ・ホビイストのゴードン・フレンチと共にホームブリューコンピュータクラブを立ち上げたフレッド・ムーアはコンピュータに関心のある者、教師ならびに革新的な教育家などのリストを得てコンピュータ技術に関する共通の情報を持ち合う場を持とうと檄をとばした。
こうしてホームブリューコンピュータクラブは1975年3月5日、シリコン・バレーに隣接したメンロ・パーク郊外にあったゴードン・フレンチの自宅の車庫で第1回が開催され32人が集まったのである。先のリー・フェルゼンスタインも友人を誘って参加したがそこにはあのスティーブ・ウォズニアックもいた。

スティーブ・ドンビアは自分がMITS社を訪問したこと、すでにAltairは1,500台出荷され、さらにこの月だけで100台が出荷されるということ、そしてMITS社は大量の注文をかかえて対応に苦慮しているといった情報を報告し、コンピュータは誰でもが買おうと思えば買える次代が到来したのだと力説した。
この第1回の会合の様子は「Homebrew Newsletter #1 Vol 1」としてここで見ることが出来る。

■Altair 8800(Wikipedia)

 
Altair 8800とは、1974年12月にアメリカのMicro Instrumentation and Telemetry Systems社(MITS)が開発・販売した個人用のコンピュータである。一般消費者向けに販売された最初期の個人用コンピュータであり、「世界初のパーソナル・コンピューター」と呼ばれることもある。
Altair8800が登場した1970年代半ば、当時のメインフレームやミニコンピュータといったコンピュータはまだ研究所や企業などで一室を占有したり、小型のものでもシステム一式で壁面のラックにそびえ立つような、巨大で高価な代物であり、高価かつ貴重な計算資源を個人が所有・占有すること(1人で1台のコンピュータを扱うこと)は、経済的に困難と考えられていた。
しかし、1970年代初頭に開発され最初期の製品が出回り始めていたマイクロプロセッサは、スペック的にはそれらを大幅に下回るとは言え、機能的には立派に1個のコンピュータであり、やはり同時に発達しつつあったLSIを使って周辺の回路と装置を用意すれば、個人が所有できるコンピュータとなる可能性が見え始めていた。
破格の安さと拡張性で、最初の2〜3週間で4000台を超える注文が殺到した。しかし、後述する生産体制等の問題により、1975年に実際に販売できたのは 2000台程度と言われている。
その後一般向けに発売されたオペレーティングシステムである CP/M とともに、中古市場に出回りつつありあったリースバックのテレタイプ端末ASR-33やビデオターミナルVT-100およびそれらの互換機などと、他の拡張機器類とあわせて接続することで、フルキーボードで入力しCRT上で結果を得るという、現在のコンソール環境とほぼ同等の環境で使うこともできるようになった。
Altair8800は、一般に知られている組み立てキットだけではなく、完成品もカタログのラインナップには存在していた。しかしMITSでは市場の要求に応えられるだけの完成品を量産製造する能力がなく(また当初は、組み立て済み製品のほとんどに何らかの不良があったとされる)、納期の遅れは購入者とのトラブルを生み出し、訴訟問題にまで発展した(例えば、送金時には1000ドルの製品が、納期の遅れによってようやく送られてきた時には、市価における実勢価格が600ドルにまで下がっている等したため、差額返却を要求された)。
実際の販売数ではキットの方がはるかに多く、電子工作の経験や素養のないユーザーが組み立てキットを購入してしまうことで完成させられない人間が続出し、その対処や苦情への対応も大きな負担になっていた。
MITSが経営に失敗した理由は、この生産効率の悪さとクレームの対処のまずさにあったと言われている。また、キット販売が主流のAltairを、組み立てなどの煩雑な作業は飛ばして実務に応用したいユーザーのニーズにもMITSは満足に応えることができず、これらの事情から完成した(消費者向け製品としてはより洗練された)互換機や拡張機器類を販売するサードパーティーが活動する余地を見出し、Altairを中核とした互換機市場に発展してゆくことになる。
Altair8800の機能
ミニコンピュータという自称ではあるが、当時の一般的なミニコンピュータとは違い、マイクロプロセッサである8080をCPUに使っている。しかし、トグルスイッチと、ビットの状態を表示するためのパイロットランプが並んだパネル、というスタイルは、当時のミニコンピュータの中心的ユニット(CPU)のパネルそのものであり、本格的な応用にはそれなりに周辺機器の増設が必要という点もある意味相似している。
しかし当初から、4KB のメモリも拡張ボードとして用意されており、それらを拡張スロットに増設することを前提に、マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツとポール・アレンが移植した BASICインタプリタが Altair BASIC としてリリースされ、(いわゆる「ストリートBASIC」ではあったが)BASICによるプログラミングも可能となった。Altair BASIC は紙テープ($350)で供給され、売れ残ったメモリボードと組み合わせて廉価販売する手法も取られた。

■マイコン 【 microcontroller 】 microcomputer(e-Words)

個人向けの小型で安価な汎用コンピュータの、1970~80年代における一般的な名称。現在では一般的に「パーソナルコンピュータ」(パソコン、PC:Personal Computer)と呼ばれる製品カテゴリの創成期の呼称。
コンピュータといえば企業などの大きな組織が利用する大型汎用機(メインフレーム)やミニコンピュータ、オフィスコンピュータなどしかなかった1970年代後半、安価なマイクロプロセッサの発明により個人が家庭で使える汎用コンピュータとしてマイコンが登場した。
当初は限られた好事家が購入・利用するに過ぎなかったが、性能や機能の向上、低価格化、優れたオペレーティングシステム(OS)や業務に使えるソフトウェアの登場などにより、次第にオフィスや家庭に普及していった。1980年代後半頃から「パソコン」という呼称が広まり始め、現在では歴史的な文脈以外でマイコンと呼ぶことはほとんどない。

Intel 8080

Intel 8080(インテル 8080、i8080)は、インテルによって開発された8ビットマイクロプロセッサであり、1974年4月に発表された。同社の8008の後継に当たるが命令の互換性はない。8080の命令は、後に拡張され、ザイログのZ80や日立製作所の64180に継承された。初期のパーソナルコンピュータの多くに採用され、モトローラの6800やモステクノロジーの6502(アップル、コモドール、ファミコン、他)と覇を競った。
i8080のロジック設計の中心となったのはビジコン退社後、リコーを経てインテルに入社した嶋正利だった。開発者の特権として彼はフォトマスク余白に嶋家の家紋である引両紋(丸に三つ引)を刻んだ。

Kenbak-1

Simon (Wikipedia)

「Apple II」や「IBM 5100」といった名機の中で世界最初のPCは何なのか?

■ウォズニアック氏が語る「発見」の瞬間–アップル40年の歴史の幕開け
ウエストコーストコンピュータフェア(WCCF)
バトル・オブ・シリコンバレー
パソコン世界を創造した傑物たち【第2話】〜 リー・フェルゼンスタイン(Apple/Macテクノロジー研究所)
■皇帝 ビル・ゲイツ

ビル・ゲイツとポール・アレンには、技術能力で面白い特徴がある
ビル・ゲイツはソフトウェアの開発能力に優れ、ポール・アレンはハードウェア専門だったのだ
ゲイツに比べ、アレンはハードウェアに対して知識を持っていた
この二人の組み合わせは、互いに弱点を補完する非常に良い関係だったのだろう
彼らが、こうしてコンピュータの知識を着実に身に着ける一方で
1971年、世界初のマイクロコンピュータ用のLSI 4004 をインテルが発表
4ビット CPU という、今から見ればお粗末な機能だが
当時にしてみれば、世界ではじめてのマイクロコンピュータの誕生だった
翌年、1972 年の夏、彼らに転機が訪れた
ポール・アレンは、「ポピュラー・エレクトロニクス」誌というコンピュータ雑誌を持ち
143ページにある記事をビルゲイツに見せた
そこには 4004 を開発したインテルが、8ビットの 8008 を開発した記事だった
これは、日本の精工舎が高級卓上計算機用に設計してインテルに依頼したものだった
この記事を見て、彼らは確信した
性能は、大規模なコンピュータに比べればごく限られたものである
しかし、この小さなチップがより強力になって、マイクロコンピュータが普及することを…
8008 を扱うには、これまで多くの人が親しんでいた言語を使えなかった
過去、当時にしてみれば小さかったミニコンピュータで BASIC を開発した経験のあるゲイツは
この弱点を克服するために、8008 用の BASIC を作れないかと試みる
ところが、8008 の能力では、到底実現できないということが明らかになった
それでも、彼らは 8008 で簡単なプログラムを作って会社を作った
この時の会社は Traf-O-Data (トラフォデータ) と命名された
いくつか仕事があり、報酬を得るもののマシン自体を買ってくれる人はいなかった
1973 年、ビル・ゲイツはハーバード大学に進学する
ポール・アレンもこのころ、会社に就職してミニコンのプログラムの仕事をはじめる
二人は将来について語り合っていたという
この年は、その一方でインテルが 8080 チップの開発に成功していた
このチップこそ、Microsoft が最初にプログラムするコンピュータとなります
ゲイツたちの希望の水準に満たなかった 8008 に比べ
8080 は後にベストセラーとなる強力な機能を備えていました
1974 年、運命の年まであと一年に迫った
この年の春、「エレクトロニクス」誌にインテルの 8080 の記事が載った
内蔵トランジスタの数が 8008 に比べ大幅に増えており
これを見たゲイツたちは、もはや複雑で巨大なコンピュータの時代は終わったと感じた
彼は、再び 8080 用の BASIC プログラムの開発に着手しようとする
そして、大手コンピュータ会社に 8080 BASIC を書こうと手紙で申し出る
しかし、その手紙に対する返信はどの会社からもなかった
BASIC の開発で再び失望することになるゲイツであった
大手メーカーは、いまだにマイクロコンピュータの可能性に気がついていなかったのである
とくに、IBM のような汎用機メーカーは、その栄華を脅かす小型コンピュータの存在は
むしろ潜在的に否定的だったのかもしれない
さぁ、そしてついに運命の年 1975 年が訪れます
この年を境に、汎用機の時代は終わりパーソナルコンピュータの時代が幕を開きます
これは、コンピュータ業界において明治維新のような大革命となります
その先駆けとなったコンピュータが MITS 社のアルテア8800です
8080 チップを使った、世界最初のマイコン・キット誕生の瞬間です
これは2年後、世界規模のマイコン大ブームの起爆剤となります
アルテアの記事が掲載された「エレクトロニクス」誌を見て二人は思います
「俺達抜きで始まっている!みんな、このチップのソフトウェアを書きはじめるぞ」
彼らは、是が非でもパーソナルコンピュータ革命の第一ステージに参加したかった
ゲイツとアレンは、弱気ながらも、再び会社を設立することを決心する
運命の雑誌「ポピュラー・エレクトロニクス」
会社を設立するにあたり、彼らの最初の仕事は決まっていた
そう、彼らが何度も主張した 8080 専用 BASIC の開発だ
話は飛躍して数週間後、アルテアを開発した MITS 社は奇妙な電話を受けることになる
名も知れぬ大学生から、奇妙な電話を受けたのは、MITS 社のエド・ロバーツだった
彼こそ、世界初のマイコン・キット「アルテア8800」を開発した人物である
若者は電話越しに言った
「アルテア8800用に BASIC を開発した」
ロバーツにとって、この電話はさぞ奇妙だっただろう
ひょっとしたら、笑いたい気持ちを必死に押さえていたのかもしれない
実は、「エレクトロニクス」誌に掲載したアルテア8800はただの箱だった
世界でただ一つのアルテア8800は輸送中に紛失してしまったのだ
だから、雑誌に掲載されたアルテアは、急遽用意した外観に過ぎなかった
その存在しないアルテアの BASIC を開発したと申し出るものがいる
そして、そのデータ(当時は紙テープを使っていた)を持ってアレンという男が訪れた
アルテア8800 で BASIC は動いた……
話は、ゲイツとアレンが BASIC の開発を決断した時に戻ろう
彼らには、手元にアルテア8800がなかった
それ以前に、彼らは 8080 チップすら実際に目にしたことすらなかったのだ
見たことも触ったこともないコンピュータのプログラムを書く
今の時代と異なり、コンピュータに互換性という概念がほとんどなかった時代にである
これが、彼らの最初の課題となった
そこで、ハードウェア専門のアレンが魔法を使ってみせる
アレンは、8080 チップのマニュアルを徹底的に研究した
そして、大学の大型コンピュータ上で 8080 と同じ動作をするプログラムを書いたのだ
そう、アレンは8080 エミュレータを大学のコンピュータで作成したのだ
ゲイツは、このエミュレータを使ってアルテアの BASIC を書く
1975 年の冬のことである
彼らは眠ることなく、もうすでに昼と夜の感覚もなくなっていた
眠る時は、いつも机か床だった
ほとんどなにも食べず、誰とも会わない日々が続いた
限られた機能しかないコンピュータに BASIC を組み込む思考錯誤が繰り返された
開発から5週間後、ついに BASIC は完成した
ビル・ゲイツはアルテアの MITS 社に一本の電話を入れる
「アルテア8800用に BASIC を開発した」
この電話を受けたのは MITS 社のエド・ロバーツだった
ポール・アレンはゲイツが書いたプログラムをパンチした紙テープをもってMITS 社に向かう
一説では、MITS があるアルバカーキに飛行機で向かう途中
アレンが、書き忘れたブートストラップ(プログラムを起動させるためのプログラム)を書いたという
この BASIC を MITS に売り込むと同時に、彼らは会社を設立した
世界最初の、マイクロコンピュータソフトウェア会社の誕生である
彼らは、この会社に Microsoft (マイクロソフト) という名前をつけることにした
大学の教育用コンピュータを商業目的に利用したことなどは、後に問題となった
ライセンスなどにうるさい Microsoft だが、その誕生はエミュレータと不正から始まったのだ
しかし、自分の環境を最大限に利用してビジネスに転化する彼らの才は評価したい
後に、世界は汎用機からマイコンブームとなり、パーソナルコンピュータが誕生する
Microsoft はゲイツの思惑どおり、見事にこのブームに乗り上げる
同時に、汎用機に縛られた IBM などは PC 業界に圧迫されることとなった

【reference page】

■Homebrew Computer Club (wikipedia)
■The Homebrew Computer Club(ComputerHistoryMuseum)
■Gordon French (wikipedia)
■HOW THE ALTAIR 8800 CHANGED OUR LIVES

■Ed Roberts (computer engineer)

0411_西森秀稔_量子コンピュータ

0409_マービン・ミンスキー_MIT人工知能研究所

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