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Q1. 世界初の表計算ソフト「ビジカルク」は、Apple IIにどのような影響を与えたのでしょう? ➡️
Q2. 表計算ソフト「ビジカルク」の登場は、パーソナルコンピュータの歴史をどう変えたでしょうか? ➡️
Q3. 「ビジカルク」が、Apple IIで大成功を収めた後、消えていってしまったのはなぜでしょうか? ➡️
Q4. 「Excel」が表計算ソフトの世界標準になっていったのはなぜでしょうか? ➡️
Q5. ブルックリンが「ビジカルク」のアイデアを思いついたきっかけは何だったでしょうか? ➡️
A1. 世界初の表計算ソフト「ビジカルク」は、Apple IIにどのような影響を与えたのでしょう?
A2. 表計算ソフト「ビジカルク」の登場は、パーソナルコンピュータの歴史をどう変えたでしょうか?
A3. 「ビジカルク」が、Apple IIで大成功を収めた後、消えていってしまったのはなぜでしょうか??
A4. 「Excel」が表計算ソフトの世界標準になっていったのはなぜでしょうか?
A5. ブルックリンが「ビジカルク」のアイデアを思いついたきっかけは何だったでしょうか?
【参考動画/reference movie】
【参考ページ】
■ダニエル・ブルックリン(wikipedia)
ダニエル・S・ブリックリン(英: Daniel S. Bricklin, 1951年7月16日 – )はアメリカ合衆国のコンピュータ科学者。ボブ・フランクストンとともに表計算ソフトVisiCalcを開発した。
ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれる。Akiba Hebrew Academyを経て1969年マサチューセッツ工科大学に入学し、1973年に電気工学と計算機科学の理学士号を取得。MIT卒業後DECに入社しワープロソフト「WPS-8」のプロジェクトリーダーとなるが、1976年に退社。1977年にハーバード・ビジネス・スクールに入学し、1979年に経営学修士号を取得。
1979年、MIT時代の友人であったボブ・フランクストンとともにSoftware Artsを設立、世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトであるVisiCalcの販売を開始した。ロータスに買収される1985年まで会長を務め、同年Software Gardenを設立。1990年にはSlate Corporationを設立するが1994年に閉鎖、Software Gardenに復帰した。1995年にはTrellix Corporationを設立、2003年にInterland(現Web.com)に買収され、ブリックリンは2004年までInterlandの最高技術責任者を務めた。
1981年にグレース・マレー・ホッパー賞を、2003年にウォートン・インフォシス・ビジネス変革賞を受賞した。1994年にはACMのフェローに就任した。
現在はソフトウェア会社Software Gardenの社長を務める傍ら、Wikiシステムを利用したWebベースの表計算ソフト「wikiCalc」の開発に取り組んでいる。
■VisiCalc(wikipedia)
VisiCalc(ヴィジカルク)は、世界初のパーソナルコンピュータ向け表計算ソフトである。それまでホビー用と考えられていたマイクロコンピュータをビジネスツールとして定着させるきっかけとなったソフトウェアである。6年間で70万本を売り上げた。
1979年、Personal Software 社(後のビジコープ)が Apple II 向けに発売した VisiCalc は、ダン・ブリックリン考案、ボブ・フランクストン設計、彼らの Software Arts 社開発によるものであった。これにより Apple II はホビースト向けの玩具から便利なビジネスツールへと変貌した。IBM PC が登場する2年前のことである。
VisiCalcの一部は、メインフレームなどによるタイムシェアリングシステムで広く使われていた表計算プログラムに着想を得ている。例えば、International Timesharing Corporation (ITS) の Business Planning Language (BPL)、Foresight Systems の Foresight などがよく使われていた。ブリックリンは「VisiCalcを作り始めたころ、我々は様々な表計算プログラムに精通していた。実際、ボブは1960年代から Interactive Data Corporation で働いており、そこで表計算ソフトを使っていたし、私もハーバード・ビジネス・スクールで触れたことがある」と記している。
ブリックリンによれば、彼はハーバード・ビジネス・スクールで教授が黒板に金融モデルを書くのを見ていた。その教授が間違いに気づいてパラメータを修正しようとしたとき、表の中の大部分を消して書き直さなければならなくなった。これを見たブリックリンは、このような計算をコンピュータ上で処理する「電子式表計算」を思いついたのである。
ブリックリンはそのアイデアを指導教官や友人に話したところ、大半から「それは素晴らしいアイデアだ」と賞賛されたが、コンピュータに精通しているとある教授からは「そのようなソフトは既に大型コンピュータ向けに存在するのに、わざわざマイコン向けに作る必要があるのか」と否定的な見解を示されたという。ただその教授は、「一年上の学生にマイコンに詳しい人間がいるので相談してみるといい」として一人の人物を紹介する。それがPersonal Software社を経営するダン・フィルストラであった。
ブリックリンは当初、表計算専用のハードウェアを設計・製造して販売することを考えていたが、フィルストラは「わざわざハードを作らなくても、既に売れているハード向けにソフトを作って売ったほうが賢明だ」とブリックリンを説得し、当時既にベストセラーとなっていた Apple II 向けにソフトを作ることを勧めた。そこでブリックリンは友人のフランクストンと共同でSoftware Arts社を設立し開発をスタートさせた。1978年から1979年にかけての冬の2カ月間でVisiCalcを開発。当初16KBのメモリで動作することを目標としていたが、結局それは不可能であることが判明し、32KBで動作するものができた。テキストとグラフィックスの分離表示などの機能も考えていたがメモリ容量の都合で省くことになった。なお、メモリの価格が下落したためアップルは標準で48KBのメモリを搭載して出荷するようになったため、メモリ容量については問題ではなくなった。当初、カセットテープを記録用媒体としてサポートしていたが、それも間もなく省かれた。
VisiCalc はビジネスツールとしてのパーソナルコンピュータの有効性を示し、Apple II の躍進に寄与した。このことは、それまでPC市場を無視していたIBMがPC市場に参入する要因にもなった。Apple II 版の後、VisiCalc はAtari 8ビット・コンピュータ、PET 2001(どちらも Apple同様 6502プロセッサ使用)、TRS-80(Z80プロセッサ)、IBM PCに移植された。