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Q1. ポール・ブレイナードが作ったDTPという言葉はどういったものだったのでしょうか? ➡️
Q2. DTPがアップル社を倒産の危機から救ったというのはどういうことなのでしょうか? ➡️
Q3. ポール・ブレイナードは、どんな人なのでしょうか? ➡️
Q4. DTP市場を開拓したAldus PageMakerはその後どうなりましたか? ➡️
Q5. アルダス社の名前の由来となったアルドゥス・マヌティウスというのはどのような人だったのでしょうか? ➡️
A1. ポール・ブレイナードが作ったDTPという言葉はどういったものだったのでしょうか?
DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)とは、日本語で卓上出版を意味し、書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパーソナルコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うこと。
概要
“Desktop publishing” の言葉は、そのさきがけとなったページレイアウトソフト「PageMaker」の販売開始にあたって、Aldus社(アルダス)の社長ポール・ブレイナードが1985年に提唱した言葉である。
DTPの登場によって、商用印刷においては、かつては版下の制作から印刷まで様々な工程に分かれていた作業がパソコン1台で行えるようになり、簡単・迅速・省コストになった。また、家庭やオフィスにおいても、自分のパソコンとプリンターを使って、商用出版物のような美しいデザインの印刷物を(才能さえあれば)制作できるようになった。
市販のパソコンに最初から入っているワープロソフトでも、簡易的なDTP機能を備えているため、ある程度は整ったデザインの印刷物が制作できる。しかし専用のDTPソフトを使うと、ワープロソフトよりもレイアウトを細かく制御でき、より整ったデザインの印刷物が制作できる。
DTPを行うパソコンとしては、歴史的にMacintoshが多く利用されてきたが、これはMac用ソフトとしてPagemakerが発売された1985年当時、Macだけが唯一の実用的なWYSIWYGを実現したシステムであり、その後の時代においても、Macの方が他のシステムよりもハードウェアやアプリケーションソフトウェアが先行して充実していたことが理由である。業界の主流のDTPソフトがPagemakerからQuarkXPressへ、そしてAdobe InDesignへと移り変わった2010年代以降でもそれは変わっていない。
DTPが登場する以前、1970年代から1990年代にかけて使われていた業務用の電算写植システムにはUnix上で動いていたものも多いが、DTP業界ではUnixやLinuxなどは全く使われていない。また、ビジネス用のパソコンとしてはデファクトスタンダードとなっているWindowsも、DTP業界ではほとんど使われておらず、やはりDTP業界ではMacが主流である。ただし、WindowsやLinuxでDTPを行うためのソフトもある。
なお、印刷所における印刷工程は、「プリプレス(印刷前の組版、製版など)」「プレス(印刷、本刷り)」「ポストプレス(印刷後の加工・製本など)」の三つの工程に分かれている。このうち、DTPの登場初期において、印刷所の「プリプレス」工程をパソコンで置き換えたことを、かつては「デスクトップ・プリプレス」 (Desktop prepress) と呼んでおり、この「デスクトップ・プリプレス」のことを「DTP」と呼ぶ場合があった(上記のDTPと区別するために「DTPr」、「DTPR」と呼ぶことも)。紛らわしかったが、パソコンのDTPソフトが普及するにつれ、「プリプレス」工程をパソコンで行う(版下をパソコンのDTPソフトで作って印刷に回す)ことが普通になり、わざわざ「デスクトップ・プリプレス」とは言わなくなった。
ポールブレーナード(1947年生まれ)は、アメリカのビジネスマン、コンピュータープログラマー、慈善家です。1984年にAldus Corporationを共同設立し、初めての消費者向けデスクトップパブリッシングソフトウェアであるPagemakerをリリースしました。Brainerdは「デスクトップパブリッシング」という用語を作り出しました。1995年以来、彼は社会貢献ベンチャーズの設立を含む慈善活動に関与してきました。ソーシャルベンチャーズパートナーは、地元の投資家を非営利のコミュニティ組織と結びつけるグローバルな組織です。
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A2. DTPがアップル社を倒産の危機から救ったというのはどういうことなのでしょうか?
A3. ポール・ブレイナードは、どんな人なのでしょうか?
A4. DTP市場を開拓したAldus PageMakerはその後どうなりましたか?
A5. アルダス社の名前の由来となったアルドゥス・マヌティウスというのはどのような人だったのでしょうか?
【参考動画/reference movie】
【参考ページ】
■DTP(wikipedia)
DTP(Desktop publishing、デスクトップパブリッシング)とは、日本語で卓上出版を意味し、書籍、新聞などの編集に際して行う割り付けなどの作業をパーソナルコンピュータ上で行い、プリンターで出力を行うこと。
概要
“Desktop publishing” の言葉は、そのさきがけとなったページレイアウトソフト「PageMaker」の販売開始にあたって、Aldus社(アルダス)の社長ポール・ブレイナードが1985年に提唱した言葉である。
DTPの登場によって、商用印刷においては、かつては版下の制作から印刷まで様々な工程に分かれていた作業がパソコン1台で行えるようになり、簡単・迅速・省コストになった。また、家庭やオフィスにおいても、自分のパソコンとプリンターを使って、商用出版物のような美しいデザインの印刷物を(才能さえあれば)制作できるようになった。
市販のパソコンに最初から入っているワープロソフトでも、簡易的なDTP機能を備えているため、ある程度は整ったデザインの印刷物が制作できる。しかし専用のDTPソフトを使うと、ワープロソフトよりもレイアウトを細かく制御でき、より整ったデザインの印刷物が制作できる。
DTPを行うパソコンとしては、歴史的にMacintoshが多く利用されてきたが、これはMac用ソフトとしてPagemakerが発売された1985年当時、Macだけが唯一の実用的なWYSIWYGを実現したシステムであり、その後の時代においても、Macの方が他のシステムよりもハードウェアやアプリケーションソフトウェアが先行して充実していたことが理由である。業界の主流のDTPソフトがPagemakerからQuarkXPressへ、そしてAdobe InDesignへと移り変わった2010年代以降でもそれは変わっていない。
DTPが登場する以前、1970年代から1990年代にかけて使われていた業務用の電算写植システムにはUnix上で動いていたものも多いが、DTP業界ではUnixやLinuxなどは全く使われていない。また、ビジネス用のパソコンとしてはデファクトスタンダードとなっているWindowsも、DTP業界ではほとんど使われておらず、やはりDTP業界ではMacが主流である。ただし、WindowsやLinuxでDTPを行うためのソフトもある。
なお、印刷所における印刷工程は、「プリプレス(印刷前の組版、製版など)」「プレス(印刷、本刷り)」「ポストプレス(印刷後の加工・製本など)」の三つの工程に分かれている。このうち、DTPの登場初期において、印刷所の「プリプレス」工程をパソコンで置き換えたことを、かつては「デスクトップ・プリプレス」 (Desktop prepress) と呼んでおり、この「デスクトップ・プリプレス」のことを「DTP」と呼ぶ場合があった(上記のDTPと区別するために「DTPr」、「DTPR」と呼ぶことも)。紛らわしかったが、パソコンのDTPソフトが普及するにつれ、「プリプレス」工程をパソコンで行う(版下をパソコンのDTPソフトで作って印刷に回す)ことが普通になり、わざわざ「デスクトップ・プリプレス」とは言わなくなった。
歴史
DTP以前
業務用の出版物において、かつては熟練の職工が活字を組む作業が出版業界では一般であったが、コンピュータの出現と普及と共にその作業を電子化する試みが模索されるようになった。1970年代にはいくつかの会社によって業務用の電算写植システムが開発され、アメリカにおいてはAtex社が有名となり、新聞社や大手出版社などに採用されていた。
また、1978年にはレイアウトに関する命令を記述したタグを用いる組版ソフトとしてTeXが開発され、コンピュータ上で印刷原稿の編集作業を行う環境が実現された。しかし当時はこれはDTPとは呼ばなかった。これらのシステムとDTPとの最大の違いはWYSIWYG(逐次出来上がった組版を確認)がないことである。WYSIWYGがない状態では作業の結果の確認を出力(あるいはプレビュー)といった形によってしか実現できない(ちなみにTeXでWYSIWYGができるソフトにGNU TeXmacsなどがあるが、日本語の扱いが完全ではないために一般化はしていない)。
WYSIWYG
WYSIWYGを不完全ながら最初に実現したのは1970年代のゼロックス社のパロアルト研究所で、その成果は1981年にXerox Starワークステーションとして市販された。
一方民生の出版物においては、自宅でタイプ原稿を作成するための環境として、1980年代以前の欧米ではタイプライターが一般的に用いられていた。しかし1984年1月、パソコンのMacintosh(初代Mac)とワープロソフトのMicrosoft Wordが発売されると、従来のタイプライターによる原稿の制作環境をMacとWordで代替し、「Macをタイプライターとして使う」ことが一般的に行われるようになっていった。
1984年、Atex社の社員であったポール・ブレイナードがAtex社を辞職してAldus社を創業する。1985年、Aldus社がMac用ソフトとしてPagemakerを発売するにあたって、Macのデファクトスタンダードであった「Microsoft Word」との差別化の為に「Macはタイプライターではない」ことを示す必要があった。そのためのマーケティング用語としてブレイナード社長が打ち出したのが「デスクトップパブリッシング」(DTP)である。1985年1月に開催され、アップル、アドビ、アルダスなどのメーカーが一堂に会した、アップル社の株主総会において宣言された。
DTP以前の印刷までの作業工程は、デザイン、版下作成、製版がそれぞれの専門家に分業化されていた。DTPではこれらの作業をすべて1人で行うことが可能となる。
3A宣言
DTPの発祥地はアメリカ合衆国である。現在のDTPの萌芽はアメリカの3つの企業で芽生えた。
1984年1月、Apple社から初代Macintoshが発売される。プラットフォームとして様々な周辺機器やソフトウェアが生み出された。ただし初期のMacは本格的なDTPを行うにはスペックが厳しく、DTP業界が急拡大するのは1987年発売のMacintosh II頃からである。
1985年5月、Apple純正のレーザープリンターであるApple LaserWriterが発売される。LaserWriterプリンターは、アドビ社の開発したページ記述言語・PostScript技術を用いた「Adobe PostScriptフォント」がROMメモリに組み込まれており、これによって画面に表示されているものをそのままに印刷することが可能となる「WYSIWYG」を実現したほか、プリンターにPostScriptフォントを搭載している限りはコンピュータとプリンターの組み合わせが変わっても出力結果を維持するという「デバイスインディペンデント」(使用機器に依存しない)な性質を実現していた。
1985年7月、Macintoshプラットフォームにおける最初の実用的なDTPアプリケーションとなるアルダス社のPagemakerが発売される。これによってDTP環境が実現された。
プラットフォームをつくりだしたアップル、ページ記述言語を生み出したアドビ、そして実用的なアプリケーションを世に送り出したアルダスによって、DTPはそのスタートを切った。この3社の頭文字を取って、これを『3A宣言』という[要出典]。
なお、1980年代のDTP業界のデファクトスタンダードであったAldus Pagemakerは、1990年代には機能がより豊富な1992年発売のQuarkXPress 3.3に急速にシェアを奪われてしまった。アルダスはその後アドビに買収され、PageMakerはアドビ製品として販売されることとなったが、Adobe PageMakerは1996年発売のQuarkXPress 4.0にもシェアを奪われる一方で、アドビ社から「Quarkキラー」として新たにInDesignが1999年に発売されたことにより、2001年発売のAdobe PageMaker 7.0をもって開発が終了した。
WYSIWYG の実現
PostScript (PS) フォントは基本的に、プリンターにインストールするアウトラインフォントと、作業に用いるコンピュータ(編集機)にインストールする画面表示用のビットマップフォントの2種類から構成され、これが同期して働くことによって、確実かつ迅速な作業を約束している。
それに対してTrueType (TT) フォントはプリンターフォントを持たず、編集機からプリンターに各文字の形状の情報を送って印刷する仕様であったため、DTP勃興当時のコンピュータには処理が重すぎるという欠点も抱えていた。
アウトラインフォントは文字の形に関する情報を持っているだけなので、そのままでは印字に用いることができず、文字の輪郭の内側を「塗りつぶした」面状態のデータに変換する必要がある。これをラスタライズというが、編集機側でラスタライズするTTフォントの場合、当然プリントアウトしている間、編集機はこの処理のために拘束されることになる。それに対してPSフォントは、ラスタライズはPSプリンターで行うため、文字の種類、サイズと位置などのレイアウト情報(実際には画像などの情報が入るため、より複雑だが)をプリンターに転送した時点で編集機は処理から開放される。
ただし画面表示がビットマップフォントであることから、そのフォントにあらかじめ用意された表示サイズ以外の文字は画面上でドットの粗いギザギザの状態で表示されるため、これは真の意味でWYSIWYGとは言えなかった。そのため開発されたのがAdobe Type Manager (ATM) で、ATM専用版フォントを編集機側にインストールすることで、ビットマップフォントに代わってアウトライン表示を行うことができるようになった(コンピュータの処理能力の向上や技術の進展により、その後採用されたOpenTypeフォントはプリンターフォントを持たず、ダイナミックダウンロード(字形も含めて編集機から送信する)する仕様になっている)。
■Adobe PageMaker(Wikipedia)
Adobe PageMaker(アドビ・ページメーカー)とは、かつてアドビシステムズの開発・販売していたDTPソフト。当初アルダス社によって開発されたが、バージョン5時にアドビによりアルダス社ごと買収された。
最終バージョンは7.0.2(2001年11月リリース)。
来歴
1985年に最初のバージョンが発表され、当時唯一のWYSIWYG環境であったMacintoshによるDTPという市場を切り拓いた。DTPという概念自体、このアプリケーションを世に問うために、アルダス社社長ポール・ブレイナードが考案したものである。
特徴
ボックスを使わずに、紙面上の任意の場所に文字や画像を配置することができるなど、直感的な操作性を特徴とする。また、パソコンによるDTPソフトとしてはかなり初期の段階でカラー対応を果たしている。
1999年にアドビではアルダスが開発していたInDesign[4]を継続開発し、QuarkXPressに対抗するDTPソフトとして販売を始めた。同社によると、デザイン要素の強いレイアウトワークにはInDesignを、ビジネスドキュメントにはPageMakerを、大量のマニュアルなどにはFrameMakerを、というように分類していたが、PageMakerからInDesignへの移行を推進し、2005年にはアドビストアでは PageMaker 7からInDesign CS2へのアップグレード版が販売された(InDesign CS2ではPageMaker 6.0以降のファイルを変換出来る)。
■IT業界の開拓者たち 第22回 ページメーカーを作った男 脇英世
ポール・ブレイナード(Paul Brainerd)――
アルダス創業者
ポール・ブレイナードは、アルダス(Aldus)社の創設者で、ページメーカー(PageMaker)というDTPソフトの開発者である。昔はDTP(デスクトップ・パブリッシング)といえばアルダスであり、ページメーカーであった。アルダスはアドビシステムズ(Adobe)に買収されてしまったが、ページメーカーはアドビの製品として残っている。